アイビー卒業

僕がアイビーやトラッドなファッションに興味を持つようになったのは
思えば4年前、今いる職場の最初のボーナスでバラクータのG9を購入した頃だ。
そのときは確か「This Is England」っていう舞台が80年代のイギリスの映画で
登場人物が着ていたからという単純な理由で、
トラッドなんか意識することもなくあくまでモッズ経由で買ったのだけど。

当時の僕は、今の自分みたいな、ある意味型にハマったアパレルっぽい着方ではなく、
いかに音楽を感じさせるかといったバンドマンみたいな謎の信念を持っていた気がする。
音楽とファッションはリンクしているという立場についてだけ言えばまるでミックジャガーだった。
それからどういう経緯を辿ったか、ある日インターネットで
ベージュのG9を着たスティーヴ・マックイーンの画像に出会う。
モッズなんかよりも遥かにシックで大人っぽくて格好いい。
どうやらG9というジャケットは英国のモッズやスキンズが着る定番というよりは
もっと幅広いところで古くから知られる世界的なスタンダードらしい
そうこう調べていくうちに、クラシックな服についてもっと知りたいと思うようになり、
「男のマジメ服」というサイトでトラッドの定番アイテムをひととおり学び、
それから「Take Ivy」と「アイビーボーイ図鑑」という本を買って、
アメリカン・グラフィティ」と「炎のランナー」とウディ・アレンの映画をたくさん見た。
気が付いたころには雑誌セカンドが僕の愛読書になっていた。

G9を皮切りに、セカンドやらポパイもしくは上記の本で度々取り上げられるような
トラッドの定番アイテムをここぞとばかりに買い込んだ
マクレガーのドリズラージャケット、マッキントッシュのゴム引きコート、
バブアーのオイルドジャケット、サイのピーコート、ラルフローレーンのワークシャツ
インバーアランのニットカーディガン、グローヴァーオールのダッフルコート、
ブルックスブラザーズのボタンダウンシャツ、インディビジュアライズドシャツ、
セントジェームスのウェッソン、トップサイダーのデッキシューズ、
ニューバランス576、クラークスのデザートブーツ、ラッセルモカシン、
そのほかオアスロウ、キソベル、ホワイトマウンテニアリングといった国内ブランドや
バレナ、エンジニアドガーメンツ、ストーンアイランドなどインポートの新作

大学院を中退した半端者がようやく人並みの社会人になれたというのに、
仕事が終わると京都の服屋数件に寄っては服を見て、試着して、店員にあれこれ教わって、
本当に毎日服のことばかり考えて、服にばかりお金を費やした4年間だった。
その4年でたぶん3人くらいの女の子と付き合ったけど
3人の女の子とのデート代が束になっても、そのころ服にかけた金額にはかないっこない

そんな僕も、もうすぐ30歳を迎えようとしており
もはやオシャレの全力投球が許される年ごろではなくなっているし、
そろそろ(貯金がないという)現実ときちんと向き合わなくちゃいけない。
また、アイビーという伝統的なスタイルは今やシティボーイとかいう消耗品に置き換わり
マスマーケティングにより急速な陳腐化が進んでいる。
そんなわけで、以上の理由から、そろそろ僕もアイビーファッションを卒業することにしました。
アイビーくん、さようなら。
まあ、卒業といっても、ダスティン・ホフマンの卒業は今でも大好きだし
これから服を買い控えるというだけの話で、今まで買った服は今後も着るんだけど
とにかくアイビーくん、さようなら。今までありがとうな。おおきに。

8月12-13日

この記事を投稿している今は、9月1日の夜。
ぼくは8月22日から仕事の関係で埼玉の寮に住んでいる。
8月12日から13日にかけて、その一週間後には関東に住むというのに
あえて小旅行として東京に行ったのだけど
この雑文はその直後に書きかけていたものです。
実家を発つまでには完成させておくつもりが
荷物の準備や仕事で忙しくてけっきょく今日まで放ったらかしに。
これ以上寝かすわけにもいかないのでさっさと仕上げちまおうと
少し手直ししてから今日掲載することに。

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この2日間、ワールドハピネスを見に東京に行っていた
交通費を極力抑えるため、前日の晩に京都駅から夜行バスで東京に向かった
しかし早朝東京に着いてもしばらくすることがないのは明白だったので
事前にネットで調べた御徒町の銭湯に入り身だしなみを整えた。
新幹線の日帰りできる身軽さもいいけど、
夜行バスの時間を持て余すこの感じは嫌いじゃないかも
朝から江戸の湯に浸かれば休み気分もひとしおだった

風呂を出てもまだ8時過ぎだったので、目に付いたファストフードに入って
持参した文庫本を読んで時間をつぶしていた
「第三の新人」と呼ばれる世代の作家について、村上春樹が論じた本だった
彼らは、社会問題への介入に積極的だった当時の戦後派作家たちとは異なり
社会派とは距離を置いて非政治的で私的な物語をマイペースに紡いでいた
その直後鮮烈なデビューを飾った石原慎太郎大江健三郎などの新進作家に押されて
彼らの存在感は次第に薄れていく 今日、彼らの知名度はわりと低いのである
ぼくも安岡章太郎遠藤周作だけ名前くらいは聞いたことがある程度で
何の予備知識もなかったけれど、村上春樹は彼ら第三の新人による作品群にこそ
物語の普遍的な魅力があると認めて大学の講義でまで取り扱ったというのだ
ふだん海外文学にしか言及がない彼が腰を据えて日本文学を徹底的に語る
というだけでも十分興味深い ぼくは歯切れの悪いパサパサのエッグマフィンを食べながら
待ち合わせまでこの本を熱心に読んでいた

東京駅から京葉線で10分ほど先の新木場駅へ
ここで同伴者の女の子と合流、
雨天が予想された当日は、午前中の気紛れみたいな雨を別にすれば
おおむね良好な天気に見舞われた
我々はメインステージがよく見えるAブロック右前くらいにシートを敷いて
開演前は演奏を心待ちにビールを飲んだ
そして演奏中もだいたいはビールを飲んで過ごしていた
以下、印象に残ったステージを抜粋

@エゴラッピン
あまり熱心に聞いたことがなかったんだけど
ワールドハピネスが終わってから今まで2日間
延々とベストを聞き続けているあたりぼくはやはり
初見の中納良恵にずいぶん好印象をもったんだろう
力強いソウルフルなヴォーカルやメディアへの露出の少なさから、
わりと気難しいお姉さまっていうイメージをなんとなく勝手に持ってたんだけど
ステージに出てきた彼女は、小柄でカジュアルで
とても元気で愛嬌のあるご機嫌な女の子だった
まさにハピネス
終始にこにこしていたのが印象的だった

きゃりーぱみゅぱみゅ
冒頭MCにて
「今までいろんなフェスに参加させていただきましたが
今回ほど自分が場違いだと思ったことはありません」
実際には彼女を場違いだと思った人はあんまりいなかったと思う
PONPONPON、つけまつける、CANDY CANDY、きゃりーANAN
という鉄板チューン、PVに出てくるバックダンサーの少女達も登場し
曲が変わる都度振り付けを優しく誘導するなどきゃりーの盛り上げ方も絶妙で
結果としてサイドステージでは本日最高の盛り上がりを彼女は見せていた
個人的にはPerfumeのブレイク以降たびたびYMOと比較されてきた
中田ヤスタカの音楽をYMO主催のフェスで聞けるというのが画期的だった

Tokyo No.1 Soul Set
フェスは後半 日差しが徐々に弱まり快適な気温へと移行する中
彼らが再び暑苦しい空気を持ち寄りサイドステージへ
1曲目の「Rising Sun」冒頭のイントロで早くも気分が高揚
BIKKEの挙動不審な動きともごもごした聞き取れないライムは僕のイメージどおり、
それにしてもオリジナルラヴやビートニクスが時代に則して音楽を
日々更新し続けているのに対して
彼らの音楽にはあまり変化というものがぼくには感じられない
むしろ未だに90年代の幻影を追い続けているようにさえ思える
そこがいとおしいというべきか。
大好きなアルバム「Jr.」から「Hey Hey SPIDER」をやってくれて嬉しかった

木村カエラ
ソウル、ヒップホップ、テクノが中心のラインナップとなった本フェス中
木村カエラ率いるこのバンドが最も正当なロックンロールを聞かせてくれた気がする
堅実な楽曲と確かな腕を持った粒ぞろいのバックバンド陣、
なにより木村カエラの腰を据えたエモーショナルなヴォーカルと
魅力的な動き、殺人的なかわいさとスタイルの良さが圧巻だった
これはすげえーと思った

Curly Giraffe
カエラの直後ということもありステージ付近では移動し続ける大勢の客
それらを気にも留めずに気持ちの良さそうな顔で淡々と弾き語る高桑氏
アメリカ西海岸を思わせるグッドミュージックが夕焼けにマッチしていてよかった
ときおり顔を出すGreat 3っぽさには思わずにんまり。

岡村靖幸
感無量だった。
僕にとって岡村靖幸は、語り始めるとキリがないほど思い入れのあるシンガーなのだ
リアルタイマーじゃなくても、ネットに上げられたいくつかの動画を見るだけでも
その圧倒的なセンスには多くの人が心を奪われるだろう
3度目の逮捕を経た復活劇・・というのはいささか虫が良すぎるのではと
今でも思わなくもないのだけど
(たった一度の逮捕で干された人たちと彼との扱いの差はなんなんだ?)
やっぱり生で見れたのはすごく嬉しかった。
これまでのラインナップのあれこれを危うく忘れさせるほどの
パンチの利いたパフォーマンス。彼を知らない観客の誰もが
「このスーツぴちぴちの人すごい」と思ったことだろう
しかしどうだろう、復帰後の岡村ちゃんを見たファンはこぞって
全盛期にも匹敵とか超えたとか言っている
たしかにステージの盛り上げ方はうまいけど
年のせいか高音がいまいち伸びきらずに
裏声やシャウトで肝心なフレーズをごまかしている部分が散見されたのが
ぼくとしては少し残念だった ぼくは原曲をぜんぶ知ってるから
高音が出せていない箇所を聞いても脳内補完して楽しめたけど
果たして、このフェスで岡村ちゃんの曲を初めて聞いた人にも
「曲そのものの良さはちゃんと伝わっているのか」
という疑念がぬぐえずにいた

YMO
やっぱりYMOだよね、で帰ったのが3年前参加したときのワーハピだった
今年はYMO以外にも目当てのアーティストが目白押しだったので
そういうわけにはいかないだろうと高をくくっていたのだけど
終わってみれば今年もやっぱりYMOでした・・・

  1.Firecracker
  2.Rydeen
  3.Solid State Survivor
  4.Absolute Ego Dance
  5.灰色の段階
  6.中国女
  7.Cosmic Surfin’
  8.Nice Age
  9.東風
10.磁世紀 – 開け心
11.TECHNOPOLIS

YMOだけでもチケットの元が取れるんじゃないかというくらい
名曲だらけの充実したステージだった
大トリの19-20時という時間帯もあるだろう
涼しくて快適だし日中と比べて音の抜けがとても良い
わりと原曲に忠実なアレンジなのに
どうして彼らの音楽は今でもこんなにクールなんだろう
「Absolute Ego Dance」や「Nice Age」なんかの好きな曲もやってくれたし
アンコールでは予告どおり29年ぶりの演奏という「テクノポリス」も聞けて
「本当に来てよかった・・・」と心の底から思えたひと時だった

ちなみに、ワールドハピネスの翌日は一人で東京を散策してから帰った。
東京という街は人があまりにも多すぎるという意味において
やはり特殊なところで、どこで降りても切れ目のない人だかりに
あやうく自我を喪失するところだった

フェスを半パンで過ごしたせいで真っ赤に焼けた両足に
激しい火照りを感じつつ原宿の街を練り歩く。ipodYMOで前日のセトリメイン
ちょうど秋冬の立ち上げと重なる今のうちに服屋を回らなければと
原宿キャシディとディストリクトユナイテッドアローズに行って
それぞれで服を買った ここで今回の旅における節約計画はあっさり崩壊
ディストリクトで買った9分丈のグレースラックスは仕事で穿こうと買ったけど
9分丈なるものの存在を知らない上の世代から見たら
夏休み中に遅めの成長期が来てズボンが寸詰まりになった人
みたいに思われそうでいややなと思って私服で使うことにした
そのあと他にも服屋を転々と歩き回ったんだけど
前日のフェスの疲れがとれてないのもあって
途中でスタミナ切れして、神田の漫喫に入って
そこで夜まで時間をつぶして夜行バスですっと帰った。
疲れたけど、とても充実した二日間だった

ジャンク回想

①12
一駅となりの塾に通い始めた12歳くらいのころ
帰宅途中によくコンビニに寄ってピザまんを食べながら歩いて帰った
コンビニのピザまんはこの世で一番とは言わないまでも
世の中でもかなり上位に入るおいしい食べ物だと思っていた

②9
小3までスイミングスクールに通っていた
ぼくは水泳に関しては致命的な無才で 物覚えが悪く態度も悪かった
水泳っていうのはおそらく自転車の漕ぎ方と同じようなもので
一度身に付けた泳法を忘れるということは
(子どもならなおさら)ないと思うんだけど
ぼくは一度習得してテストにもクリアしたはずの泳ぎ方を完璧に忘れたことがある
コーチに不思議がられて、怒られて呆れられて
「あんたはもう隅っこで座って見ときなさい」
とまるまる90分見学を強いられたりしたものだが
(いま考えると親がちゃんと授業料を払って行ってたのにひどい話だ)
スイミングスクールの近くには、駄菓子屋さんがあって
泳いだあとはみんな必ずそこで100円分のお菓子を買って
帰りの送迎バスで友達とお喋りしながらうまい棒やら何やらを食べた
スイミングはとにかく帰りのそのときだけが楽しみだった

③4
幼稚園のころ、ぼくより一回り年上の近所の兄ちゃんがあるとき
中のシールだけ抜き取られた大量のビックリマンチョコをぼくにくれた
彼にとってはあくまでシールが目的だったとはいえ
子どもなら誰でも大好きなはずのチョコレートをあらかた
近所のガキにタダであげちゃうなんて正気なのか
なんてクレイジーなやつなんだアホだこいつと幼児ながらに思った
そしてぼくはそれを毎日むさぼるように食べまくっていた
その光景を見かねた母は当然の帰結として
ある日ビックリマンチョコが詰まった袋をどこか僕の手の届かない場所に隠してしまった
「あんた一気にぜんぶ食べてしまいそうやから、お母さんが少しずつ渡すわ」
ぼくはまだ幼かったし、そもそもビックリマン商法にはやや遅れた世代だったから
やれスーパーゼウスだのヘッドロココだのキラキラのシールだのはどうでもよくて
とにかくあのウエハースチョコをたらふく好きなだけ食べたかった
ぼくは泣いたりわめいたり、全力で駄々をこねたりして母親を説得した
それでもうまく行かないときは、「・・ただいま・・・・はぁ」
と、さも幼稚園で何か嫌な目にでもあったかのような絶望的な顔で帰宅することで
母親の気を引き、「チョコでも食べて元気だしたら?」のセリフを懸命に導いた
とにかくビックリマンチョコが大好きだった

④28
28歳のころ、ぼくは仕事帰りによくローソンのからあげくんレッドを買って帰った
ローソンのからあげくんレッドはこの世で一番とは言わないまでも
世の中でもかなり上位に入るおいしい食べ物だと思っている
ぼくは仕事に関しては致命的な無才で 物覚えが悪く態度も悪い
ぼくは習得して一度資格にも合格したはずの業務を完璧に忘れたことがある
(いま考えるとちゃんと毎月給料をもらっているのにひどい話だ)
ぼくは泣いたりわめいたり、全力で駄々をこねたりして一人でストレス発散してみた
それでもうまく行かないときは、「・・ただいま・・・・はぁ」
と、さも職場で何か嫌な目にでもあったかのような絶望的な顔で帰宅することで
犬の気を引き付け、自分の遊び相手になってくれるように懸命に誘い出した
仕事帰りはとにかく犬のお迎えだけが楽しみだ・・

ラッシュアワー

今朝の通勤でのこと
京都で電車を降りて、改札を通過しようとカバンに手を入れるのだけど
なぜか財布が見当たらない。財布にはIC乗車券(ピタパ)が入っている
ぼくはときどき財布を忘れて家を出ることがあるほどのサザエなんだけど
今回のように電車に乗ったあと財布が見つからないという状況はまずありえない
どう考えても財布は朝からずっとカバンに入っていたはずなのだ

しかしその日、ぼくは不審な私服の若者が同じ車両に乗っていたことを思い出した
痩身で背が低く、目が小さくて鼻の低い、妙に平坦な顔をした十代半ばの青年だった
京阪電車の京都方面は平日でもそれほど混雑しないので
この日も座席は埋まっているものの、立っている乗客はそれほど多くはなかった
どちらかというと吊り革の数の方が多かったくらいなのだが
その青年はなぜか僕の至近距離に立ち構えてマンガを読んでいた
ちなみにタイトルまでは確認しなかったけど、どうせワンピースとかだろうと
ぼくはこれが大人が読むマンガやねんぞといわんばかりに
彼の目の前で文庫のギャラリーフェイクを読んでいた

この辺りの記憶が不確かなのだが、僕がギャラリーフェイクを読んでいたとき
どうも青年の手が僕のカバンに接触していたと思うのだ
それも今思い返すと不自然なくらいに何度も執拗に。
そう、財布がなくなったのであれば、そのときしか考えられない
いや、間違いない。ぼくはあのとき電車で青年に財布をすられたのだ・・・

しかし僕はそのとき一瞬にして全てを悟った
青年には幼い妹を救うために早急に資金が必要であることを
きっとこういう話だ
彼の父親は、ギャンブル三昧でアル中、おまけにDVで家族を散々悩ませていたが
5年前のある日、多額の借金を残してとつぜん若い女と蒸発した
女手ひとつで育ててくれた母親も昨年交通事故で亡き人に。
母親には兄弟がおらず、両親も既に亡くなっていたため
子どもたちの引き取り手は現れない
借金返済と幼い妹の生活を支えるため、兄は中学卒業と同時に
新聞配達と食品工場の仕事を掛け持ちして馬車馬のように働いた
そんなある日、妹が世界に数件しか症例がないという奇病
「シックスパック・シンドローム」(腹筋が割れたくないのにきれいに6つに割れる病気)
にかかってしまう。手術には保険の適用がなく数百万円の治療費がかかるそうだ
収入は月25万弱、おまけに借金も残っているという絶望的な状況で
彼は散々悩んだあげく、止むを得ずスリを覚える決意をした
僕から盗んだ財布も、きっと妹の治療費に充てられるはずである

そんなことをひとしきり考えた結果、ぼくは財布は諦めて青年にくれてやることにした。
中身はたかだか数千円、治療費の足しにもならないが、ないよりはましだ。
自分の金で少しでも誰かの腹筋が割れないのならそれで本望だ
そう自分に言い聞かせてから、ぼくはカバンの中をもう一度丹念にまさぐり
そこから財布を取り出して改札を出た

ブラック・スワン

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(※ぼんやりネタバレあり)
土曜は「ブラック・スワン」をレンタルで見たんだけど
映画本編を見たあとに聞いたシネマハスラーの「ブラック・スワン」評
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2011/05/post_859.html)がすごく良かった。
宇多丸氏はこの作品の世界観をなんと楳図かずおの漫画に例えていた。
楳図かずお漫画の根底に流れる一貫したテーマを
「人は主観という名の牢獄に囚われた絶対的に孤独な存在である」ことだと分析した上で
ブラック・スワンにおけるテーマにもこれが当てはまると評してみせた

この映画の概要をざっくり言ってしまうと、精神を病んでいく人間の
心の内を映像化した作品ということになるだろう
実際にはこの映画の主人公ほど妄想と現実が入り乱れる錯乱状態は
統合失調症かドラッグでしかあり得ないと思うけど
先に述べた楳図かずおのテーマに関しては万人が抱える問題だ。
人は主観の呪縛から永遠に逃れることはできない
その絶望的な現実を前にした可憐なバレリーナの苦悩を見事に描き切っていたと思う
おもしろかった。

ところでぼく、今回みたいに映画を見たらすぐにシネマハスラーでその作品の批評を聞く
という流れがすっかり定着してしまっていて、今では見る映画を選ぶ際には
まずハスラーでその映画が取り上げられているかどうかを確認する習慣までついてしまった。
この土日に「ブラック・スワン」以外でぼくが見た映画
「レスラー」、「十三人の刺客」、「シークレット・サンシャイン」、「ラ・ブーム」・・
と最後以外はどれも宇多丸氏がハスラーで取り上げ、かつ高い評価を与えたものである。
宇多丸氏の批評は面白いし勉強になる。映画評論家を名乗るに相応しい知識を持っているし、
指摘するポイントも的確で感覚も信用できる。
「モテキ」とか「ステキな金縛り」とか、あれどこがダメやったん?って思うときもあるけど
彼の意見にそこそこ振り回されている自分がいることに居心地の悪さを感じつつ
それでも僕はしばらくこの嗜みを繰り返すんだろうな

ブログを始めました

ぼくは普段は主にツイッターを利用しているけど、
言葉というものをコミュニケーションの手段としてではなく、
一つの自己表現としてそのあり方を考えた時、
ほんとは言葉にはある程度の量・長さが必要だと思っている
言葉の選び方や言い回し、抑揚の付け方やリズム感・・総称すると「文体」ってことなんだろうけど
英語圏でいうところの「VOICE」が意味合い的によりしっくりくる
書き手がそれぞれ固有に持つ「VOICE」とは、140字のつぶやきでぶつ切りにできるものではなく、
文と文をつなげて、あれこれ考えて、また次の文へとなんとかつながって・・と書き続けるうちに
熱みたいなものが生じて、急にごろごろと転がり始めて
思いのままにすらすら筆(キーボード)が進んで、にやにやしながら書いたり
泣きそうになりながら書いたり、勢い余って内容が飛躍したり・・
その一連の作業を経た結果、ある程度のまとまった文章になることで初めて見えてくるものだと思う
そういう小説をたくさん読んできたし、ぼくにもそんな文章がときどきでも書ければいいなと思う

ところでこのブログのタイトル、「甲板の上のヴィット」についてはいちおう由来がある
甲板というのは言うまでもなく船のデッキのこと。そう、デッキ=トップサイダーです。
ぼくにとって甲板といえば子どものころ、お盆に四国の田舎に帰るたびに
家族で利用したフェリーのくそまずいビアガーデン
風の強いデッキ上に並んだ不安定なテーブルに家族5人
枝豆や焼き鳥を食べながら瀬戸大橋の下をくぐった、そんなことを思い出す
フェリーにいるときの父親はいつもビールを飲んでいて酒臭かった
(ベルギーの白ビールのことをヴィットという)
ぼくはそのときの家族の団らんを、今までいちおう幸せな思い出として記憶していたんだけど
具体的に思い返してみると、弟は転んで焼き鳥をデッキにばらまいてぎゃーぎゃー泣いてたし
母親はぶつくさ言いながらやたら不機嫌そうにその後始末をしていたし
無口な兄はものの数分で退席して船内のゲーセンで「竜虎の拳」に没頭してた
残された父親とぼくの2人はたいしてすることもなく 枝豆の鞘をチューチュー吸いながら
薄着の若い姉ちゃんでも眺めてやり過ごしてたんだろう、そんな気がする
でもそのときの光景が今でも妙に脳裏に焼きついていて、
なんとなく自分のルーツはそこにあるんだろうなと、そんな気がしたのでタイトルにしてみました