ラッシュアワー

今朝の通勤でのこと
京都で電車を降りて、改札を通過しようとカバンに手を入れるのだけど
なぜか財布が見当たらない。財布にはIC乗車券(ピタパ)が入っている
ぼくはときどき財布を忘れて家を出ることがあるほどのサザエなんだけど
今回のように電車に乗ったあと財布が見つからないという状況はまずありえない
どう考えても財布は朝からずっとカバンに入っていたはずなのだ

しかしその日、ぼくは不審な私服の若者が同じ車両に乗っていたことを思い出した
痩身で背が低く、目が小さくて鼻の低い、妙に平坦な顔をした十代半ばの青年だった
京阪電車の京都方面は平日でもそれほど混雑しないので
この日も座席は埋まっているものの、立っている乗客はそれほど多くはなかった
どちらかというと吊り革の数の方が多かったくらいなのだが
その青年はなぜか僕の至近距離に立ち構えてマンガを読んでいた
ちなみにタイトルまでは確認しなかったけど、どうせワンピースとかだろうと
ぼくはこれが大人が読むマンガやねんぞといわんばかりに
彼の目の前で文庫のギャラリーフェイクを読んでいた

この辺りの記憶が不確かなのだが、僕がギャラリーフェイクを読んでいたとき
どうも青年の手が僕のカバンに接触していたと思うのだ
それも今思い返すと不自然なくらいに何度も執拗に。
そう、財布がなくなったのであれば、そのときしか考えられない
いや、間違いない。ぼくはあのとき電車で青年に財布をすられたのだ・・・

しかし僕はそのとき一瞬にして全てを悟った
青年には幼い妹を救うために早急に資金が必要であることを
きっとこういう話だ
彼の父親は、ギャンブル三昧でアル中、おまけにDVで家族を散々悩ませていたが
5年前のある日、多額の借金を残してとつぜん若い女と蒸発した
女手ひとつで育ててくれた母親も昨年交通事故で亡き人に。
母親には兄弟がおらず、両親も既に亡くなっていたため
子どもたちの引き取り手は現れない
借金返済と幼い妹の生活を支えるため、兄は中学卒業と同時に
新聞配達と食品工場の仕事を掛け持ちして馬車馬のように働いた
そんなある日、妹が世界に数件しか症例がないという奇病
「シックスパック・シンドローム」(腹筋が割れたくないのにきれいに6つに割れる病気)
にかかってしまう。手術には保険の適用がなく数百万円の治療費がかかるそうだ
収入は月25万弱、おまけに借金も残っているという絶望的な状況で
彼は散々悩んだあげく、止むを得ずスリを覚える決意をした
僕から盗んだ財布も、きっと妹の治療費に充てられるはずである

そんなことをひとしきり考えた結果、ぼくは財布は諦めて青年にくれてやることにした。
中身はたかだか数千円、治療費の足しにもならないが、ないよりはましだ。
自分の金で少しでも誰かの腹筋が割れないのならそれで本望だ
そう自分に言い聞かせてから、ぼくはカバンの中をもう一度丹念にまさぐり
そこから財布を取り出して改札を出た