ジャンク回想

①12
一駅となりの塾に通い始めた12歳くらいのころ
帰宅途中によくコンビニに寄ってピザまんを食べながら歩いて帰った
コンビニのピザまんはこの世で一番とは言わないまでも
世の中でもかなり上位に入るおいしい食べ物だと思っていた

②9
小3までスイミングスクールに通っていた
ぼくは水泳に関しては致命的な無才で 物覚えが悪く態度も悪かった
水泳っていうのはおそらく自転車の漕ぎ方と同じようなもので
一度身に付けた泳法を忘れるということは
(子どもならなおさら)ないと思うんだけど
ぼくは一度習得してテストにもクリアしたはずの泳ぎ方を完璧に忘れたことがある
コーチに不思議がられて、怒られて呆れられて
「あんたはもう隅っこで座って見ときなさい」
とまるまる90分見学を強いられたりしたものだが
(いま考えると親がちゃんと授業料を払って行ってたのにひどい話だ)
スイミングスクールの近くには、駄菓子屋さんがあって
泳いだあとはみんな必ずそこで100円分のお菓子を買って
帰りの送迎バスで友達とお喋りしながらうまい棒やら何やらを食べた
スイミングはとにかく帰りのそのときだけが楽しみだった

③4
幼稚園のころ、ぼくより一回り年上の近所の兄ちゃんがあるとき
中のシールだけ抜き取られた大量のビックリマンチョコをぼくにくれた
彼にとってはあくまでシールが目的だったとはいえ
子どもなら誰でも大好きなはずのチョコレートをあらかた
近所のガキにタダであげちゃうなんて正気なのか
なんてクレイジーなやつなんだアホだこいつと幼児ながらに思った
そしてぼくはそれを毎日むさぼるように食べまくっていた
その光景を見かねた母は当然の帰結として
ある日ビックリマンチョコが詰まった袋をどこか僕の手の届かない場所に隠してしまった
「あんた一気にぜんぶ食べてしまいそうやから、お母さんが少しずつ渡すわ」
ぼくはまだ幼かったし、そもそもビックリマン商法にはやや遅れた世代だったから
やれスーパーゼウスだのヘッドロココだのキラキラのシールだのはどうでもよくて
とにかくあのウエハースチョコをたらふく好きなだけ食べたかった
ぼくは泣いたりわめいたり、全力で駄々をこねたりして母親を説得した
それでもうまく行かないときは、「・・ただいま・・・・はぁ」
と、さも幼稚園で何か嫌な目にでもあったかのような絶望的な顔で帰宅することで
母親の気を引き、「チョコでも食べて元気だしたら?」のセリフを懸命に導いた
とにかくビックリマンチョコが大好きだった

④28
28歳のころ、ぼくは仕事帰りによくローソンのからあげくんレッドを買って帰った
ローソンのからあげくんレッドはこの世で一番とは言わないまでも
世の中でもかなり上位に入るおいしい食べ物だと思っている
ぼくは仕事に関しては致命的な無才で 物覚えが悪く態度も悪い
ぼくは習得して一度資格にも合格したはずの業務を完璧に忘れたことがある
(いま考えるとちゃんと毎月給料をもらっているのにひどい話だ)
ぼくは泣いたりわめいたり、全力で駄々をこねたりして一人でストレス発散してみた
それでもうまく行かないときは、「・・ただいま・・・・はぁ」
と、さも職場で何か嫌な目にでもあったかのような絶望的な顔で帰宅することで
犬の気を引き付け、自分の遊び相手になってくれるように懸命に誘い出した
仕事帰りはとにかく犬のお迎えだけが楽しみだ・・