ブログを始めました

ぼくは普段は主にツイッターを利用しているけど、
言葉というものをコミュニケーションの手段としてではなく、
一つの自己表現としてそのあり方を考えた時、
ほんとは言葉にはある程度の量・長さが必要だと思っている
言葉の選び方や言い回し、抑揚の付け方やリズム感・・総称すると「文体」ってことなんだろうけど
英語圏でいうところの「VOICE」が意味合い的によりしっくりくる
書き手がそれぞれ固有に持つ「VOICE」とは、140字のつぶやきでぶつ切りにできるものではなく、
文と文をつなげて、あれこれ考えて、また次の文へとなんとかつながって・・と書き続けるうちに
熱みたいなものが生じて、急にごろごろと転がり始めて
思いのままにすらすら筆(キーボード)が進んで、にやにやしながら書いたり
泣きそうになりながら書いたり、勢い余って内容が飛躍したり・・
その一連の作業を経た結果、ある程度のまとまった文章になることで初めて見えてくるものだと思う
そういう小説をたくさん読んできたし、ぼくにもそんな文章がときどきでも書ければいいなと思う

ところでこのブログのタイトル、「甲板の上のヴィット」についてはいちおう由来がある
甲板というのは言うまでもなく船のデッキのこと。そう、デッキ=トップサイダーです。
ぼくにとって甲板といえば子どものころ、お盆に四国の田舎に帰るたびに
家族で利用したフェリーのくそまずいビアガーデン
風の強いデッキ上に並んだ不安定なテーブルに家族5人
枝豆や焼き鳥を食べながら瀬戸大橋の下をくぐった、そんなことを思い出す
フェリーにいるときの父親はいつもビールを飲んでいて酒臭かった
(ベルギーの白ビールのことをヴィットという)
ぼくはそのときの家族の団らんを、今までいちおう幸せな思い出として記憶していたんだけど
具体的に思い返してみると、弟は転んで焼き鳥をデッキにばらまいてぎゃーぎゃー泣いてたし
母親はぶつくさ言いながらやたら不機嫌そうにその後始末をしていたし
無口な兄はものの数分で退席して船内のゲーセンで「竜虎の拳」に没頭してた
残された父親とぼくの2人はたいしてすることもなく 枝豆の鞘をチューチュー吸いながら
薄着の若い姉ちゃんでも眺めてやり過ごしてたんだろう、そんな気がする
でもそのときの光景が今でも妙に脳裏に焼きついていて、
なんとなく自分のルーツはそこにあるんだろうなと、そんな気がしたのでタイトルにしてみました